22、旅立ち








 銀色の髪、きれいだ。
 目の前ではらはらと流れる髪を見て、思わず見とれてしまった。だが、今はそんなことを思っている場合ではない。巨大な蜘蛛は、犬夜叉と同じ銀髪の青年に襲いかかろうとしていたのだ。脚を振り上げ、青年に向かって下ろしてくる。
「あぶないッ!!」
 そう叫んだ瞬間、生ぬるい何かがの頬を濡らした。
 血だ。
 蜘蛛は聞いたこともない悲鳴を上げ、バラバラに砕け散ってしまったのだ。
 こんなことって……。唖然とするに青年は振り返り。腰が抜けて動けないでいるを見つめている。
 銀色の髪、端正な顔立ち。額には月の模様。
「……あなた……、殺生丸……?」
 そう呟く自分がいた。
 誰だ?でも、名前は知っている。彼は確か……。駄目だ。思い出せない。
 ただ名前だけが頭に浮かんだ。
「……
 低い声で名前を呼ばれる。
「……えッ……。私を……知っているの……?」
 の問いに殺生丸が眉を寄せる。
「ごめんなさい……。私、過去の記憶を失っていて……」
 殺生丸を見つめる。なぜか、恐ろしくはなかった。蜘蛛を一撃で仕留めた殺生丸に対して、恐怖も何も感じなかった。

「何も、覚えていないのに、変よね。……あなたの名前だけは、思い出したわ」

 そう言って、泣きそうな顔で笑うに殺生丸は眉を寄せる。その笑顔に引き込まれる。不愉快な感情だ。こんな感情など今まで生きていて感じたこともない。本当に不愉快だ。
 けれども、森の中で奈落に聞かされたの死。だが、は殺生丸の目の前にいる。生きているのだ。
 片膝を地面に付け、未だに立ち上がれないの頬に触れる。温かく、柔らかい肌は生きている証拠だ。頬に触れる殺生丸の手が温かい。
「殺生丸……。あなたと私。……どこで出会ったの?」
 彼なら失った自分の過去を知っている。
「お願い。教えて……」
 の質問に殺生丸は答えることもなく、すっと立ち上がると振り返った。彼の視線の先を追ってみれば、生き残った村人達が立っていた。子供達は無事のようだ。小夜も顔を汚しているが大丈夫そうだ。ほっと一息を付き、立ち上がろうとするが腰に力が入らない。腰が抜けているのだ。立ち上がろうと悪戦苦闘するの腕を殺生丸は掴むと、一気に立ち上がらせた。
様!離れるのじゃ!そやつは、妖怪じゃ!!」
 村人達は鬼気迫る顔をして、殺生丸を見ている。殺生丸が妖怪?人間のような容姿なのに。けれども、大蜘蛛を倒した力は人間の力ではなかった。
 そんな村人達とに背を向けると、殺生丸は何も言わずに森への道を歩いて行ってしまう。
 この時、は選択しなければならなかった。
 壊れた村、傷ついた人々。けれども、殺生丸は。殺生丸はの過去を知っている。
 殺生丸の背中を見、そして覚悟を決めた。
「私、行くわ!」
 の言葉に村人達がざわめく。
 村の人々がを引き留めようと声をかけるが、の心はもう決まっていた。
「今まで、お世話になりました!ありがとうございました!!」
殿!」
 殺生丸の背中を追いかけようとするを寺の住職が呼び止めた。彼は一息飲み込むとの瞳を探るように見つめた。そして……
「これを、持って行きなさい」
 渡されたのは、装飾品が鮮やかな小刀だった。
「あなたの無事を祈ってますよ……。また、帰ってきて下さい」
 にとって父のような存在だった住職。二人の瞳に涙が浮かぶ。
「姫様……、気をつけてね」
「小夜ちゃん……。ごめんね……」
 小夜がの手を強く握り、そして名残惜しげに離れた。
 この心に傷を負った、小さな女の子の側にもっといてあげたかった。けれども……。
「ごめんなさい!」
 頭を下げて、一礼すると、殺生丸を追って走り出した。記憶を失って過去もなにも知らないを大切にしてくれた心優しい村人達。彼等のおかげでは自分自身潰されずこれまで生きてこられたのだ。感謝してもしきれない。
 森の入り口で殺生丸に追いついた。
「殺生丸!」
 彼が立ち止まる。
「私も連れて行って!邪魔にならないようにするから……!」
「……」
 殺生丸はを知っている。彼の側にいたらきっと過去のが現れるような気がする。背が高い彼を見つめる。切れ長の鋭い目。見つめるに殺生丸はそっぽを向いた。
「……好きにしろ……」
 それは、殺生丸らしい答えだった。
 また歩き出した彼の後ろには付いて歩き出した。
「それと……。さっきは助けてくれて、ありがとう」
「……」
 の笑顔を見て、また前を向く。
(……みんな、さようなら)
 渡された小刀を強く握り、懐に入れた。

―――桔梗。私、過去を思い出すわ。絶対。





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20100520