17、昔話








「桔梗……ッ!」
 ようやく見えた背中に向かいは叫んだ。
 ぴたりと脚を止めた桔梗は振り向きもしない。
 月が支配するこの世界の中、宙を舞う妖怪はなんとも怪しいものだ。
 久方ぶりに走ったせいで息が切れ、肩で息をする。一定の距離を保ったままは桔梗の背中を見つめた。
 意外に華奢な背中には重いなにかがのしかかっているさえ思える。
「小夜ちゃんがね……、ごめんなさい、だって」
「……」
 先刻、小夜が言った言葉をそのまま桔梗に伝えた。
 桔梗を死人だと知った小夜は手を延ばしてきた桔梗を拒絶した。それにたいする謝罪の言葉なのだろう。桔梗を姉のように慕った少女の言葉に桔梗はなにも返さなかった。いや、返す言葉がないのだろう。
「……桔梗、……ここから去るのね」
 振り返らない背中に向かいは心の内を言った。
 びくりと桔梗の身体が震えたのは見間違えだろうか。
 少しして桔梗は口を開いた。
「私は、もう……、ここには居られない……」
 静かに言う彼女の言葉は悲しみが混じっている。
「そんな……!皆、あなたを慕っているのに……」
も知ったのだろう。私がなんなのか」
 の言葉を遮るように桔梗が言う。
 踵を返し、振り返った桔梗は月明かりに照らされ、昼の姿とは違う、妖艶な姿でそこに立っていた。
 だが、彼女の瞳に、深い悲しみと憎しみの焔が燃えているようには感じた。
 あれほど一緒にいて、初めてはその焔を見たのだ。
……。私は人とは交わってはならない女なのだ」
 至って冷静な声音だが、桔梗の表情は苦しさが滲み出ている。
「おまえは、よく私達に物語を聞かせてくれたな……。私も知っている話しが一つだけあるのだ……」
 思わずは在りし日の子供達と村人、そして桔梗の笑顔を思い出してしまった。
「もう五十年も昔の話しだ。……ある村の一人の巫女は、悪しき者達から四魂の玉を守るため日々戦いに身をおいていた」
「……四魂の玉……?」
「願い叶える玉のことだよ……」
「願いを……」
「……ああ」
 桔梗は寂しそうに頷いた。
「そんな玉だ。妖怪、人間。欲望にまみれた者達は四魂の玉を狙って、何度も巫女を殺そうとする。巫女は玉を守るため、自分の感情を押し殺し、女を、人間を捨て戦った。……それが当たり前なことだと思ったんだ……」
 なにかを思い出すように桔梗は瞳を閉じる。

「……そんな時だ。巫女は、恋をした……」

「……恋……」
「騒がしいほどにうるさく。悲しいほどに人を求める半妖に巫女は恋をした。……今まで経験したこともない感情と押し殺していた女としての立場で、巫女は半妖を愛していたのだ……」
 桔梗の話しには胸が締め付けられた気がした。
 は、その感情を知っている。
 泣きたくなるほど、人を愛することを。でも、……誰を愛していたんだろうか?
「……半妖も巫女を愛している、と言った。四魂の玉を使い、人間になり、ともに生きようと……」桔梗が息をつめる。

「だが、そいつは裏切ったのだ……!」

 桔梗の瞳が一瞬にして憎悪に染まったのをは見逃しはしなかった。
「そもそも、その半妖も、もとは四魂の玉を狙う者であった……。玉を得るために巫女に近づき、騙し……そして、傷つけた……。恋をし力を失いかけていた巫女は最後の力を振り絞り半妖を封印し、そして死んだ……」
 風が二人の髪を撫でた。
 桔梗の長い、美しい髪が風に舞うのをはただ見つめていた。
 なんて、悲しい話しだろう。
 胸の前を掴んでいた手を握り直した。
「……いきなり、こんな話しをして悪かった……。誰かに聞いて欲しかったから」
 淋しげに桔梗が言う。

「わかるわ……ッ!」

 思わずは言った。
「その巫女の悔しさ、憎しみ、そして悲しさが、私にもわかるよ……」
 愛している者に裏切られることは、身体を傷つけられたことよりも心が痛いのだ。
 愛していた自分の心が苦痛に叫ぶのをは知っていた。
 無くした記憶からそれは沸々と沸き上がってくる。
「……何故、泣く……?」
 桔梗の言葉では初めて自分が涙を流していることに気付いた。
「わからないわ……なぜか、涙がでるの……」
 とめどない涙が頬を流れる。
 泣くに呆れたのだろうか。桔梗は一つ溜息をつくとの傍にやってくる。そして、袖で涙を拭いてくれた。
「おまえは……わからない奴だ」
 の涙を拭きながら桔梗が言う。時折、頬にあたる桔梗の手はあいもかわらず冷たい。
「……でも、ありがとう……」
「……え」
 桔梗の言葉に驚き顔をあげる。
 礼を言われる理由が見当たらないのだ。
「いや……。それより、。……私はこの村を出るよ」
 上手くはぐらかされた感じだが、は素直に頷いた。
 彼女は、縛られないほうがいいのかもしれない。
「……桔梗が思う道をいけばいいよ」
 の言葉に桔梗が笑う。
「そうか……。なら、も一緒に行かないか……?」
「え……?」
 桔梗の言葉には驚いた。
 涙も、頬を流れはしなかった。
「この村を出て、旅をすれば、おまえの無くした記憶を戻すことができるかもしれない」
 桔梗と旅。
 この村から出て、諸国を周り旅をすればに関する情報も入り、記憶が戻るかもしれない。
 世界を見る。亡くなった僧もにそう言っていた。自分も自分の記憶を取り戻すには世界を見て周りたいとは思っている。
 気心しれた桔梗との旅はにとっても嬉しいさそいだ。
 だが、
「私は……、残るわ」
 とは言った。
「まだ寺には怪我が完全に完治してない人がいるわ……。それに二人揃って村を出たら皆が心配するから……」
 過去を失った自分を受け入れてくれた村人達になにもせず去るのは忍びない。
「この村でするべきことがすんでから私も、旅をするわ……」
「…………。おまえは本当にお人よしだな」
 の言葉に桔梗は苦笑気味に言う。
「だが、らしい」
「……ありがとう」
 素直に礼を言う。
「また、どこかで会いましょう」
 は桔梗の手を握った。
 今生の別れとは言えない気がした。生きていれば再び会える。

「それと……私、さっき話してくれた巫女の話し。……あの巫女のこと……好きよ……」

 そう言えば、今までで一番美しい笑顔を桔梗は見せた。





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20071218