06、変化








 女中に内緒で集めさせた薬草の薬と包帯を持って数日間あの滝壺にいる妖怪の手当てをしている。ちなみに、蔭刀や城のもの達にはこのことは秘密にしている。この時代の人間があまり妖怪に対して良い感情を抱いていないのをは察したからだ。もし、知られたら手負いの妖怪だ。殺されてしまうかもしれない。
 それにあの妖怪は今だに傷が痛むのか、動けずにいる。
 は冷たい水の中から妖怪をどうにかして出したいと思っていた。あの冷たい水だ。体温を吸収し、体力を徐々に奪っていく。傷の治りが遅ければ、見つかった時に大変なことになるかもしれない。
 には、妖怪が本当はどのようなものかわからない。
 この時代の妖怪と人間の関係もわからない。
 今自分がしていることが正しいのかも、実ははっきりとはわからないのだ。
 傷薬と包帯を手に持ちは城から抜け出した。
 人工的に作られた山に入るための道を歩き、あの滝に向かう。あの妖怪はが救おうとしているのがわかるのか牙を剥き出してこなくなった。それに、やはり犬の妖怪なのか毛並みが美しく触りごこちも良い。実は、なんだかんだと言って自身があの妖怪が好きなのだ。もともと動物は好きなのだからそう思っても仕方ない。
「あれ……」
 滝壺に出た時、は立ち止まった。
 いつもは、滝壺の水の中にいた妖怪がいないのだ。傷が癒えて、この滝壺から離れてしまったのだろうか。滝壺に近づいてみるが、やはりあの妖怪はいなくなっていた。どこかに、いってしまったのだろう。
 辺りを見回して、ふいには、草陰から、ふわふわした毛並みが見えていることに気がついた。
 これはあの妖怪のものだ。どうにかして、滝壺から出て、この草陰に来たのだろう。
 は、恐る恐るその草陰に入った。
「え……ッ」
 思わず声がでた。
 そこにいたのは、あの大きな犬ではなかった。
 銀髪が美しい一人の男がいたのだ。見たこともない男だ。男は眠っているらしく、が近づいても起きることがない。
 この男は誰だ。不意に目がいった額には、あの犬と同じ月の模様があった。左腕は着物で隠れてはいるが、どうやら無いように見える。あの犬と同じだ。
 妖怪は人間に化けると聞いたが、この男はあの犬が人間に化けた姿だというのだろうか。
 もっと、近づきたい。そう思い、顔を覗き込む。男にしては美しい顔がある。あの荒々しい犬が、このような美しい男に変化するとは驚きだ。長い睫毛も銀色だ。
(あ……耳は尖ってるんだ……)
 そう思った瞬間、男の切れ長の瞳が開き、を捕らえた。その途端に、男の右腕が華麗に動き爪が伸びたのだ。そして、地面に倒れ込んだに覆い被さるようにして男が屈み込み、その伸びた爪をの首に突き付けた。
 一瞬だった。
 爪はの喉を貫くことはなく。すんでの所で止まった。
 いきなりのことで恐怖感もなかった。ただ、に覆い被さる男の顔があまりにも美しくは不覚にも見とれてしまった。
 数秒そうした後、男はを殺すでもなく、無表情に爪をもとに戻し。元の定位置に腰を落ち着かせた。
 その行動があまりにも自然で、一瞬何をされたのか忘れてしまったほどだ。
 だが、彼は確実にを殺そうとした。

「ちょっとね……。今、確実に私を殺そうとしたでしょう……!」

 怒りに任せては叫んだ。
 だが、相手は顔色も変えずに瞳を閉じた。
「あんたね……あの妖怪でしょう!一応、命の恩人に向かって何を……」
「……頼んではいない」
 の言葉を遮ったのは男だった。低い声は腰にくるが、なにより彼の発した言葉に驚いた。
 この男、素直じゃないのだ。
「そうね……。頼まれてしたことじゃないわ。まぁ、いいわよ。左腕を見せて、傷の手当をしましょう」
 そう言ってみたが、男はの顔を見るどころか傷を見せようともしなかった。犬の時とはあまりにも違う反応にもどう行動したらいいのかわからなくなってきた。
「早く、傷見せて」
「卑しい人間などに手当を受ける筋合いはない」
 はっきり、そう言われての怒りは上がってしまった。
「……っ、犬の時は、素直に……」
 そこまで言って、は言葉を濁した。
 そうだ、犬の時はにされるがままだった。この男は、言葉ではそう言ってはいるが、すでにが妖怪を助けようとしていることに気がついてる。人形になり、言葉を発せられるから、このようなことを言うだけだ。もう、手当をしても何も言わないだろう。
 は男の左に回ると、持ってきたふろ敷から傷薬と包帯を取り出した。
 そして、深い息を吐いた。
「これから私がすることは、蝿が跳んでることと同じに思ってください」
 返事がないことを了解と取り、は擦り切れている彼の左着物を脱がせた。均等についた美しい肉体はまさに男の体で、思わず目線をそらしてしまった。男の体など見慣れてなどいない。心臓の鼓動が早くなる。頬が朱らむのを感じながらも、急いで昨日が巻いた包帯を取り、患部に傷薬を塗るという一連の手当をした。
 その間、彼は何も言わなかった。そっぽを向いたままのされるがままになっていたのだ。
「……できた、っと」
 清潔な包帯を巻き終え、は彼を見た。美しい銀髪が風に靡いている。
「……お前……」
 突然、声をかけられ驚いた。
 彼の顔を見るが相変わらず、そっぽを向いている。
「お前……名は何だ……?」
「……ですけど……」
 訝しく思いながらは答えた。
「……」
 それ以外、話さなくなった彼は突然、の顔を見つめた。探るように見つめられるので、思わず目線を下に向けた。
「……何ですか……?」
「お前、……いや。何でもない……」
 途中で言葉を濁した男には首を傾げた。





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20071027