05、女








(死ぬのか……。この私が、犬夜叉ごときに……)
 滝壺の冷たい水が殺生丸の血を吸い上げていく。
 父は犬夜叉ごとき半妖に鉄砕牙という最強の武器を残し死に、自分には使えぬ刀、天生牙を残した。それが腹ただしいのだ。その上、鉄砕牙の結界に阻まれ、半妖に鉄砕牙で腕を切り落とされるとは。
 薄れゆく意識の中、殺生丸は思った。
 父の墓からこの滝壺まで飛ばされるとは思いもしなかった。力を使いはたしてしまったせいで、人形に戻れない。
 耳元で砂を蹴る音が聞こえたのは、そんな時だ。目を開ければ、人間の女が見えた。卑しい人間が傍に来ていることもわからなかった。匂いも気配も今は感じることができない。
 そういえば、犬夜叉の傍にいた女が鉄砕牙の封印を解いたのだ。思い出せば、怒りが沸き上がってきた。人間の女など。父も人間の女に心を奪われ死んだのだ。唸り声をあげ追い返そうとするが、女は逃げなかった。
 どこかの城の姫だろうか。美しい着物を一枚脱ぐとあろうことか殺生丸に近づいたのだ。動けるなら、ひと噛みで殺してやるところだが、生憎傷のせいで首さへ起き上がれない。
 何をするのかと見ていれば、血を流す腕に近づく。一瞬、女の顔が白くなった。患部が恐ろしかったのだろう。これだから、人間は。と思っていれば、厳しい顔に戻り、ふいに患部に着物を被せる。鮮やかな柄の着物に殺生丸が流す血液が染み込んでいくのだ。人間は物に執着するというがこの女は自分の着物が惜しいとは思わないのだろうか。そうこうしているうちに、女はもう一枚着物を脱ぐと、殺生丸の足の付け根を強く締め付けた。
 そこでようやく、気付いた。

(この女……私を救おうとしているのか……?)

 じっと、その作業を見ていた殺生丸は女を観察した。
 かごめ、と言ったか。犬夜叉の連れていた女が纏っている空気と些か似ている。
 いや、それよりも。二百年前に一度だけ見たあの女と同じ顔をしているのだ。殺生丸は目を見開いた。父が惚れ、犬夜叉などという半妖を体に宿した卑しき女にこの女は似ていたのだ。鉄砕牙を捜すために犬夜叉に差し向けた所詮下等な無女の変化とは違う。あの、女だ。だが、あの女は死んだ。いったい……。
 ほどなくして、女は息をはいた。
 左足の出血は止まったらしい。
 作業を終えた女は殺生丸に向かい笑いかけた。
(なぜ、笑う……)
 何百年も生きてきたが女に笑みを向けられることはなかった。じっと、女を見ていれば女は、血に染まった袴の裾を持ち地面に上がる。袴から滴り落ちる水滴が石を濡らしていく。
「大丈夫……。また、走れるようになるわ」
 あろうことか殺生丸の隣に腰かけた女は、そう言った。
 女は自分を妖怪だと知ってるのだろうか。なら、なぜ妖怪である殺生丸を助けるのだろう。普通の人間なら変化を解いた殺生丸に近づこうとはしない。女なら尚更だ。こうして、牙を見せる妖怪の傍に平然と座らない。この距離なら噛み殺されてもおかしくないのに。
 殺生丸の視線に気がついたのだろう。
「大丈夫……」
 女は再びそういうと殺生丸の耳に触った。耳に触られるなど生まれて初めてだ。

(やはり、この女は死にたいらしい……)

 そう思ったが、結局殺生丸は耳を触る女を放っておくことにした。





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20071027