03、奈落 やはり、身分の差というか。蔭刀との結婚を人見家の当主。つまり、蔭刀の父は認めてくれることはなかった。 を城には住まわせてくれてはいるが、結婚とそれとは違うということだ。わかっていたことだが現実に厳しい状況には変わりない。 「必ず、父上に認めてもらう」 と蔭刀は言っているが、それがいつになるかは、定かではない。 太陽が空高く上がった時、部屋の中にいた蔭刀はいきなり立ち上がった。 「よっし……!久しぶりに、奴に相談するか」 初めて見せる、並々ならぬ気合いぶりには目を見開いた。 「蔭刀さん。……奴って?」 庭に向かい部屋を歩き出す彼に聞く。 「ああ、はまだ知らなかったな。……奴は奈落という男だ。狒々の皮を被っておるから顔は知らぬが。これがなかなか物知りな男でな。……人のことや妖怪についても、よう知っておる。私のよき相談相手だ……」 承諾されないとの結婚をその奈落という男に相談するということだろう。だが、はそれよりも、彼が言った言葉を聞き返した。 「妖怪……?」 そういえば、この城に来る前に襲われた落ち武者もに向かいそう言っていた。気にはしていなかった。ただこの時代の人間がわからない物体をそう呼んでいるとばかり思っていたが、違うのだろうか。 「妖怪が、どうした?」 「あ、……妖怪とは何かわからなくって……」 繰り返した蔭刀に告げる。 「そなたの国には、妖怪はいなかったのか?」 「はい」 縁側に出た蔭刀の隣にも立ち止まった。よほど不思議だったのか、蔭刀は目を丸くしている。 「妖怪が居らぬとは、……よい世界だな」 蔭刀がいう。 「妖怪というものは、魑魅魍魎。人とは相いれぬ存在だ」 「動物ではないのですか……?」 「動物とは違うな。……妖怪の中には人を喰らうものもいる。人に化けるものも。……まぁ、私とて妖怪をよくは知らない。そうだな、……奈落にでも聞いてみろ。あやつは物知りだぞ」 そう笑った彼の顔は、その奈落を心から信頼しているという情が滲み出ていた。 「奈落……!居るか……!?」 蔭刀が叫ぶ。 手入れがいき届く庭の奥から、あらわれた男を見た瞬間、の全身を悪寒が襲った。 狒々の皮を被った奈落……。 彼は危険だ。は直感で感じた。 「お呼びでございますか。……若」 そう言い、庭からあらわれた男は蔭刀にひざまずいた。 奈落……。この男はいったい何者だろう。は、蔭刀の隣に立つことしかできない。 「久しぶりだな、奈落。どうだ、元気にしていたか……?」 「はい、あいもかわらず……。若は、だいぶお体もよろしいようで」 「ああ、が来てから体の調子もいいのだ」 「……?」 狒々の皮の下から低い声での名前を呼ぶ。 「様とは……、そちらのお方でございますか?」 闇の洞穴のような狒々の目穴がを見ている。その目穴から本物の目がを捕えているのだろうか。 思わず、はその場から一歩下がってしまった。 「は私の妻になる女だ」 「ほう……それはそれは、おめでとうございます」 奈落が淡々と言う。 「なら、今日。私を呼んだのもその御仁との関係のことでしょうか」 「さすが、奈落だな。まさに、それだ」 奈落との話しのためか、蔭刀は縁側に腰を下ろした。だが、はその隣に腰を落ちつかけることができなかった。奈落の傍から離れたい、と心から思った。 「どうした、?」 腰を下ろさないをさすがに不思議に思ったのか、蔭刀が聞いてくる。 「あ、……私、少し用事を思い出しました……!」 とっさに出てしまった言葉。何がをここまで奈落から遠ざけようとしているのかわからないが、無意識に起こる感情はどうしようもないのだ。 「用事……。用事とは、なんだ?」 蔭刀が訝し気に問う。 用事など本当はないのだから、慌ててしまう。 「あ、はい……。えーと、滝を見に行く約束を」 頭に出てきたは、以前女中と話した内容のことだ。本当のところ女中とは約束などしていなかったが、この城の裏にある山には美しい滝があると以前話していたのだ。いつかは、見たいと思っていたが、とっさの言い訳に使うとは思ってもみなかった。 蔭刀は一瞬考えるようなそぶりをしたが、の言い訳に納得したのか笑みを見せた。 「そうか、……。あそこの滝は美しいぞ。見てくるが、良い」 「はい。では、失礼します」 こうして、はその場から立ち去ることができたのだ。 だが、が奈落に背を向けた瞬間、背に奈落からのきつい視線が向けられたのを感じた。 殺意とも取れる視線。 は急いでその場から立ち去った。 20071026 |