02、人見家の蔭刀








 蔭刀は人見家の跡取り息子だが、生れつき体が弱いかったらしい。に出会ったのは、ちょうど家臣の一人に
「屋敷の中に閉じこもっていては、お体に障りましょうぞ。たまには、外の空気でも吸われたらどうでしょう」
 と言われたからだと、蔭刀は言っていた。
 蔭刀に拾われ、この城にやってきたを蔭刀は手厚く持て成してくれた。彼の父親、つまりこの城の当主も優しくしてくれる。
 お姫様が着るのではないかというほどの美しい着物。
 の部屋。
 食べ物。
 心配していた月の日の対処方も女中達に教えてもらえた。
 他には城での身分を蔭刀と同様にしてくれている。
 これらすべての衣食住をに与えてくれた蔭刀をは感謝してもしきれない。それに、何よりも嬉しかったのは、が話した未来から来たという事実も彼は信じてくれたのだ。そう、タイムスリップについて、彼は信じてくれたのだ。

「今夜は何を話してくれるのだ?」

 頼りない灯の中、蔭刀は楽しそうに言った。
 毎晩、こうやって蔭刀に未来の話しをするのがの日課になっている。楽しそうに未来を聞く彼を見るのがは何よりも嬉しいのだ。
の話しは何よりも、おもしろい。空を跳ぶ鉄の乗り物について、もう一度聞きたい」
 子供のように聞いてくる蔭刀がかわいらしく思える。
「蔭刀様、今夜は私の話しではなくて、こちらの話しをしてくれませんか……?」
 こちらに来て数日。未だにわからないことが多い。
 まだ、この城だけの生活だが、もし、城を出て外の世界に出るなら、多少の知識は必要だ。
「そうだな……」
 考えるように、蔭刀が言う。
がそう言うなら……質問に答えよう」
 彼の言葉に、切り出す言葉を探す。
「……なら、最近の他国の大名の名前を教えて欲しいです」
 の時代まで残る名前がわかれば、ここが何の時代かはすぐに知れる。まずは、この時代を知りたい。
「そうだな……、最近は尾張のうつけ者、織田の小伜が頭角をあらわしてきている」
 尾張で織田。つまり、織田信長。なら、この時代は戦国時代だ。貴族社会が終わりを告げ、武士が政権を握り日本を支配する。そして、新しい思想である下剋上のもとに、戦が絶えない世の中。人々は戦に駆り出され殺しあう。ドラマなどでは大袈裟に描かれているが実際は、そんなに人は死ななかったと聞いたこともあった。初めて見た田は生い茂り、飢饉等も感じられなかったほどだ。
 が想像していたより、戦国時代の人々の暮らしは、悪いものではないのかもしれない。でも、命というものが生で感じられる時代であることには間違いはない。人見家には戦の気配がないが、隣国が襲ってくるなら、戦が始まるのだろう。
「なんだ、織田の小伜のことが気になるのか……?」
 蔭刀が眉をよせる。
「いいえ。顔も見たこともありませんし」
 急いで言えば、途端に腕を引かれ、蔭刀に抱きしめられる。彼は時折このようなことをするのだ。ただ、何もするわけでもなくを抱きしめる。
「他の男などに興味を示さないでくれ……」
 蔭刀が言う。
は……もとの世界に帰りたいのか……?」
「もとの、世界……」
 抱きしめられながら、は考える。あの世界に帰りたくない、と言えば嘘になる。一人暮しを始めたばかり、と言っても家のことも気になるし、実家にいる両親のことも気になる。友人にも会いたい。
 だが、今一番愛してるいるのは目の前にいる彼なのだ。病弱な彼の優しさはを包みこんでくれる。
 出会って間もないと言うのに、その思いは日に日に強くなる一方なのだ。女中達が言うには、蔭刀はが来てから変わったらしい。
 最近の蔭刀は見るからに元気がいい。
 青白い肌は血色がよく。庭を毎日と散歩するなど、よく外に出、行動をするようになった。が彼を変えているという事実は、よくわからないが、少しでも彼の役にたてれるなら嬉しい。
、……もしだ。……私が、供に生きよう。……とそなたに伝えたなら、なんと答える?」
 瞳を覗かれる。
 黒い瞳には灯に照らされた自分の顔が写っている。
「私は、……あなたに相応しく……」
「私は、そなたが必要なのだ……!」
「……ッ!」
 真剣な表情が彼の気持ちをあらわしている。
 蔭刀が好きだ。
 彼の気持ちを受け取りたい。
 だが、……。
「ッ……殿がお許しにはなりません。……貴方は、この人見家の跡取り。何れはどこかの姫君を娶るでしょう……。それに、私は。私をただ一人愛してくれる方がいいの。妾にはなりたくない」
「私は、そなた一人を愛している……!他の女などいらない。……そなたさへ……そなたさへ、いれば……」
 再び強く抱かれる。
 着物越に蔭刀の心臓の音がわかる。
「父上には、私から許しをもらう。……許しがでたら、その時は」
 灯が揺れる。

「私の妻になってくれ……」

 女なら一度は憧れる言葉。
 違う世界でこのような言葉を言われるとは思ってもいなかった。運命、彼との出会いはまさにそうだろう。
 は蔭刀の着物を握りしめた。

「……はい……。私でよければ、蔭刀様と供に生きます……」

 声帯から出た声は震えていたが蔭刀の耳にはもちろん聞こえてきた。
「では、
「はい」
 名前を呼ばれて見上げる。
 優しげな蔭刀は少し照れくさそうにを見ていた。灯のせいだろうか、その肌は少し朱く見える。
「もう、……私の名を様とは、つけないでくれ……」
「え……?」
「前々から……そなたは、話し難そうにしていた。無理にこちらの言葉に合わせなくても良いのだ。は、だ」
 この時代に合わせるためにがしていた、馴れない上級敬語を彼は見抜いていたのだ。
「蔭刀、と呼んでくれ」
 蔭刀は言う。
「本当のそなたが知りたいのだから……」
 消えるように言う彼が愛おしく、は言葉を返した。
「はい……、蔭刀、さん……」
「……ふっ。今は、それで十分だ……」
 笑いながら蔭刀が言った。

「……愛してるよ……」

 は、その言葉を胸に大切に押し込めた。これが、彼から聞いた最初で最後の囁きになるとは。





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20071025