01、異世界 田だ。見たこともない田だ。わからない頭で後ろを向いていた首を元に戻せば、先程まであった大木もなくなり、変わりにこちらも広い田が広がっていた。そう、は田が広がる場所に一人で立っていたのだ。 こんなことなどありえるのだろうか。 先程まで自分は確かに田一つもない東京にいたのに。まだ、事態が把握できていない頭で考えるが、このようなことはありえないことだ。 狐に化かされたのだろうか。 非科学的なことを考えている自分が馬鹿らしくなってしまう。だが、今自分の身に起きていることはまさに非科学的なことなのだ。 田の中では牛と一人の百姓が突然あらわれたを呆然と見つめている。そんな百姓の姿には再び驚いた。頭の上に結わえた髪型。ドラマや映画、書に描かれていた風貌だ。まるで、時代が違うじゃないか。 時代が違う。 そうか、ここはがいた時代ではないのだ。タイムスリップ。という言葉がピッタリだろう。 つまり、自分はどういう経路にせよ、過去へタイムスリップしてしまったのだ。そう結論付ければ簡単なもので、先程まで恐ろしかったものが、すべて新鮮に思えてくる。 汚れていない新鮮な空気。 寒さが残る、気温。 そして、高い建物などがない風景。 受験に失敗し、親元を離れ東京を来たときとは違う感情だ。 何かが始まる。自分の中に押し込めていた好奇心の固まりが、胸の奥から昇ってくるのだ。何度も憧れた違う世界に自分は来てしまった。夢ではない。この目の前に写るすべてが事実なのだ。 何故いきなり、この世界へ? 一応考えてみるが、わかるわけもない。今ここで考えたところで何かが変わるわけでもないのだ。だが、一つわかる。こちらに来たのだから、必ず元には戻る。ということだ。 因果関係が成立すれば、すべてが解決する。 いきなり飛ばされたこの時代にもが飛ばされた原因があるだろうし、後から結果理由もわかるだろう。そして、それを反対にすれば元に戻るすべも自ずからわかってくる。 そう、すべてのことは因果関係で成り立っているのだから。だが、今はここに突っ立ているわけにはいかないだろう。行動に移さないければ。 まず、自分が持っているものを確認しよう。 腕には十四時四十四分に針を止め動かなくなった時計。受験当日に買った安物だ。どうやら、こちらに来たせいで動かなくなったらしい。壊れていてはただの飾りだ。 次に、ジーンズの中には携帯電話があるがこちらも電波もないから使えたものじゃない。唯一、カメラと時刻、あとは日付がわかるくらいだ。それに、ここには電池もないだろうから、使えなくなるのも時間の問題だ。 家を出るさいに、荷物を持つのが嫌で必要最低限のものを身につけていただけだから、たいしたものはない。後は、財布にハンカチぐらいだ。なんの役にも立たない。 後は何をすればいいかというと、この世界についてのあらかたの知識を知る必要がある。言葉の問題が一番心配だが、まぁ、なんとかなるだろう。 次に生きるために必要な物の確保が必要だ。 考えるの耳に男の声が聞こえてきたのは、ほどなくしてからだった。 「怪しい女!そこで何をしている!?」 ああ、よかった。普通に言葉がわかる。と両手を叩いて喜んだ。しかし、怪しい女とは自分のことだろうか。最初は実感がなかったが、考えてみれば、この時代(実際の時代はわからないが)からすると、今のの姿は怪しいに違いない。 冷静に考え、声の方へ振り返る。 田に沿った街道から、馬に乗った男がを鋭い目で見ていた。 古い鎧に身を包んだ男。 武士ではない。侍のようだ。(実際にには違いがわからなかったが、どちらかと言えば侍だと思った)知識でしかしらなかった侍に胸が高鳴る。外国人が映画の侍に興奮する気持ちがよくわかる。なるほど、本当に侍というものはいたらしい。 それに侍がいるということは、この時代は戦国から江戸の間の時代なのだろう。その姿からは、特定はできないが。 「そこで何をしている!?こっちに来い!」 動かないに腹が立ったらしい、侍が叫ぶ。 命令系なのに腹がたつが仕方ない。 遠くから見てもわかるが、彼は刀を持っている。下手に逆らい切られ、命を落としたくない。これから、この世界について知りたいのだから。田に編み目状に作られている畦道を通って侍の近くに行く。 馬が小さい。まるでポニーだ。そういえば、昔の日本の馬は人の背丈ほどであった、と聞いたことがあった。現在の馬はヨーロッパから持ち込まれた馬で、時代が変わり馬も変わったのだと。 「おぬしモノノ怪の類か!?」 モノノ怪?妖怪ということだろうか。妖怪がこの世界には存在するということか。 いや、まずありえないだろう。この時代に科学はないのだから、不思議なことが起きればすぐに空想上の生物を想像してしまうのだろう。 「いいえ、普通の人間ですよ」 できるだけ、冷静に答えた。 「なら、なぜそのような風貌だ!?」 侍は粗っぽく聞いてくる。 はシャツにジーンズと言うラフな格好である自分の姿を見直した。この姿が相手には不思議で仕方ないのだろう。とりあえず、何かうまい交わしはないだろうかと思案するが、そうそういい考えは浮かばなかった。 「何故何も答えぬ!?」 「えっと……あの、この服は……」 「やはり怪しい奴め、面倒だ!斬り殺してやる!!」 「えっ!!」 いきなりの発言に驚いた。 面倒だから人を斬る!?何故そんな解釈になるのだろうか。いまいちよくわからない。 侍が腰に挿していた刀を鞘から抜く。初めて見る刀身だ。 背筋に悪寒が走る。この世界に来てそうそうのピンチだ。助けを呼びたいが、先程、田にいた男は侍に怯えたのか姿を消していたし、助けも呼べない。 背を向けて走りだそうかと考えたが、背を向けた瞬間に相手に斬られるだろう。 直に命を狙われる恐怖。 初めての恐怖にわけがわからなくなり、腰が抜け土の上に座り込んだ。 こんな見知らぬ土地にせっかくやって来たのに死んでしまうのだろうか。 まだ十八だといえのに。ここで死んだら両親は娘の死もわからぬまま、行方不明という形で娘の安否を祈る日々なのだろうか。 相手が刀を振り上げた。 「そこで何をしている?」 男の声に刀を振り上げた侍が振り向いた。同時にもそちらを見る。数メートル先に馬に乗った三人の男と牛車の回りに二人の少年がいた。 そのうちの一人が馬を歩かせやってくる。歳老いた男は、もう一度と侍を見た。 「人見家の主君、蔭刀様が気を悪くしている。そこの落ち武者。即刻立ち去れ」 「っ!……くそっ」 その蔭刀という男はよほどの身分なのだろう。 に刀を向けていた侍は刀を手にしたまま、走り去っていた。 「女……大事はないか……?」 そのあまりの逃げっぷりに目を奪われていただが、先程の男の声ではなく、若い男の声に驚いた。 牛車から降りてきた男は腰が抜けて動けなくなったの傍にやってきた。 思わずは彼に見とれた。 この若い男は蔭刀であったか。なにせよ、彼がをあの落ち武者から救ってくれたのだ。先程の男よりも、美しい着物に身を包んだ男は、膝を下り、の顔を見る。 男にこれほど見つめられたことないため顔が火てる。 いや、それだけではないだろう。 彼が、蔭刀があまりにも優しそうだから。 「若……あまり、外にお出になりますと、お体に障りますぞ」 先程の歳老いた男が言った。 彼は体が悪いのだろうか。言われてみれば、肌の色が青白く見れる。この時代に医療は進歩していないのだ。少しの病気も治りが遅いのだろう。 「そうだな……城に戻るか。女、供に来るか?」 「……え」 「見たところ事情があるらしい。……行くところがないなら、我が城に来い」 膝をつき蔭刀がを見つめた。 今までにないほどに、心臓が跳ねるのは何故なんだろうか。 「私が、行ってもいいんですか……?」 恐る恐る聞いて見れば、蔭刀は柔らかく笑うのだ。 「ああ。私は、お前といたいのだ。……名前はなんだ……?」 「…………です」 ゆっくりと、答えれば蔭刀はの手を握った。 「では、。……私と供に来い」 蔭刀に導かれるようには立ち上がった。 腰が抜けて足も動かせなかったのが嘘のように。 「あ、蔭刀……様」 「ん、なんだ?」 牛車に向かおうとの手を引く彼には言った。 「助けて下さり、ありがとうございます」 「……が無事なら、いいのだ……」 蔭刀の言葉には笑った。 一目惚れというのは本当にあるらしい。 20071024 |